鈴鹿8時間耐久ロードレース・インターネット速報プロジェクトの記録

1999年
 4時間耐久レース
 8時間耐久レース・予選
 8時間耐久レース・決勝 英語版

2000年
 4時間耐久レース
 8時間耐久レース・予選 英語版
 8時間耐久レース・決勝 英語版

 この鈴鹿8時間耐久レースウィーク速報は、当時はまだまだ活気があったパソコン通信のニフティサーブ内のフォーラム「オートバイフォーラム(*1)」「モーターサイクルスポーツフォーラム」のイベントとして行なったもの。1994年からパソコン通信内での速報を行なっていたが、2000年からはインターネットにも同様の情報を提供すべく、システムを開発して展開した。

 1994年のスタートということは、モータースポーツのライヴタイミングのはしりということだ。これは、誇ってもいい実績だったと思っている。
 この頃はまだ、衛星放送など存在せず、インターネットなど影も形も見えない時代だった(いや、あったんだけどさ。えらい高かったんだ)。モータースポーツは、今でもマイナーだが、今よりもっと想像もつかないほどマイナーなものであり、どれほどのビッグレースであろうとも、現場にいるひと以外は、展開を知ることができなかった。ぼくたちは、リアルに展開を知りたかったのだ。展開を知りたいひとが、きっと、たくさんいるだろうと思った。だから、やってみようと思った。それが、ライヴタイミングだった。
 チームは、当初は鈴鹿サーキットのプレスルームに全員が集合していたが、のちにサーキットの情報収集チームと東京に置いたオペレーション室との2チーム体制となった。実は、初期には「現場にいたい」という願望から全員が鈴鹿に来てしまったのだが、8時間耐久パソコン操作なんかやっていたら全然レースは見れないもんで鈴鹿まで遠征しようというやつが減り、コストの削減もあって、2チーム体制になったんだった。更に、携帯電話配信は札幌在住者が担当したので、末期には3チーム体制となっていた。
 パソコン通信からインターネットへ。海外のファンのための多言語展開へ。サーキットにいるひとたちに向けた携帯電話での速報へ。やれるだけのことはやったと思うし、今のライヴタイミングを見てもぼくたちがやったコンセプト以上のものは、現時点では見当たらないような気がする。いや、そりゃまあそれなりに洗練されてきてはいるけれどさ。

 2000年頃には、ちらほらインターネットを使ったライヴタイミングを志す追っかけも出現してきていた。トレンドはCGI。だけど、レースの進展に伴うアクセスの殺到対策・システムダウン対策として、チームはぶっといバックボーン回線+スタティックなHTML、という組み合わせによる運営を選んだ。これは、結果としてとてもいい判断だった思う。他のライヴタイミングがレース終盤に至って軒並み討ち死にする中で、ぼくたちのライヴタイミングだけは、最後まで何も起きていないかのように、淡々と速報を続けた。

 その後、パソコン通信の終焉に伴い、「オートバイフォーラム」「モーターサイクルスポーツフォーラム」は閉鎖され、この速報を担当したフラッシュニュースチームも解散した。アイディアの遺伝子が花開いていることで、満足しなくちゃいけないんだろうと思う今日このごろです。みなさん、いかがお過ごしですか。

*1 その後、もうひとつ同名フォーラムができたが、それはぼくたちとは無関係。